不妊治療の休暇を取れるようになった職場や産休・育休が充実してきた職場もあるなか、この休暇を取る人をフォローするのは該当しない人たちもいます。
当たり前の権利というなら、該当しない人たちは当たり前ではないのか?
この現象を不公平・不平等という言葉で表すのもしっくりこない感じがします。
なぜな産休・育休・不妊治療の休暇などは困ったことへの救済措置的な福利厚生だからです。
でもフォローするのは毎回同じ人であることが多い。ご祝儀とかもそうだなと思うのです。
相手からの「ありがとう」でスッキリするんですが、問題は相手も周囲も「当たり前の権利」と思い込んでいてフォローする側が報われない気持ちになることです。
人とのことなので感謝の意を示すことは大切です。しかしそれも相手によって確かではないので、代わりに雇用側がフォローした人に休暇や手当などを優遇する制度があればいいなと思います。
コロナ禍で子どもの感染や学級閉鎖で休む親をフォローしている現場の人たちは大変だと鍼灸の施術時に伺うことも多いので、なんだかこういうことに違和感を覚え、図書館でこの本を借りました。
この本は生き方の指南本ではありませんでした。
冒頭に
- 本音を話したいけど話す場がない。
- 他の人の気持ちを聞いてみたい。
- 同じ立場の人と繋がりたい。
とあり、このような境遇の人のお話は聞く機会もなく、当人同士も話す相手を選ばざるを得ない状況なのだと感じました。
結婚して母親になるだけが幸せな人生ではない。
と本の中では述べてあり、この考えを持っている人が身近にいないとかなり苦しい立場に追い込まれます。
そのためにより確かな自分軸を持つことが必要になってきます。
妊活のサポートをしているからこそ不妊治療中の方達の苦しさもよくわかります。
世間が40歳の妊娠を簡単だと思うようになってきたことも助長しているように思います。
「子どもを持つべきだ」という同調圧力はもはや暴力だと感じます。子を産むことに関心がないことは「変」なのでしょうか。決してそうではないはずです。
「子どもを持つべきだ。」という考えは子どもを望んでいる人に対しても自己免疫疾患のように自らを苦しめる恐ろしいものだと思います。
先にも述べましたが、せめて近くにいる人からは属性ではなく一人の「人」として向き合って欲しいと思うものです。
「子どものいない女性」の理由は様々です。その多様なロールモデルが不足していると本の中でも述べています。
昔と違って生き方の選択肢が増えた今、自分で人生をカスタマイズする力が要求されています。
しかし生き方が変わってきているのに社会がその多様性に追いついていないことも問題です。
お互いの尊重が大切です。そして自己への尊重は最も大切です。
満たされていないと損得勘定が大きく働き、ついつい自分サイドの過不足を何とかすることばかり考えてしまいます。これがいわゆる「多数派」の主張として扱われます。
しかし相手サイドの多様性を受け入れられるようになれば、自分の中の「マイノリティでいる不安」から解放され自己否定は減り、幸福度は上がっていくように思います。
「みんな一緒が安心」という考えは価値観を統一してしまった昭和時代の負の遺産だなあとつくづく思います。
次の世代を育むのは生殖に限ってのことではないと述べられており、まさにその通りだと感じました。
最後に「40代は人生の正午」とユングの言葉が引用されていました。
さてこの問題について私ができることは?
人生のちょうどお昼過ぎに差し掛かっている私は何をしようかな。
そんな課題をプレゼントしてくれたこの本に感謝しています。